奨学生からの手紙

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「民族」に関する私見

 果てしなく青い空、緑の自然、誰よりも勇敢なテムジンの英姿、世界を手綱で治めたチンギス・ハーンの愛に「モンゴル人」が誕生しました。

 「アルガルの煙が立ち昇る
 牧民の家庭に生まれしのぼくは
 果てしなく続く故郷を
 揺りかごのように思う
 生まれ育ったこの故郷を
 わが身のように想う
 この人こそモンゴル人
 祖国を愛する人」 

 数百世紀が過ぎ去った後にモンゴル族学校に通っている私は、モンゴル族の言葉と文字を勉強する機会に恵まれ、今回のモンゴル族文化基金の奨学金を受け取ったことにとても喜びを感じました。このことが私の家族にとっても、彼らの負担を軽減させただけではなく、永眠した両親の御霊もきっと喜んでいるに違いないと思います。さらに、我がモンゴル族の言語、文字の将来に関して自分の意見を述べる機会にも恵まれ、感謝の気持ちでいっぱいです。

 モンゴル族はまだ恵まれている民族だと思います。なぜなら、数多くの民族が肩を並べて発展しているなかで、自身族の言葉と文字を軽視するようになってから、逆に他の民族より後進してしまったからです。56の民族の中から今、自立して存在しているのはどのぐらいでしょうか。しかしながら、かつて幸運に恵まれていたわがモンゴル族は、最近の二年から他の言葉を「神の言葉(burhan hel)」のように崇拝する現象が多く見られます。例えば、我が子を漢族の学校に通わせ、漢文を身につけさせ、最低子供が自宅に戻ってきた後でも、漢語で会話を交わしたりして、自分の子供を完全に漢化させているのです。本当に心が痛む行為です。社会発展の視点から言えば、自民族の言葉のほかに他民族の言葉を学ぶのは当然です。しかし、私の考えでは、それを一定の割合でそれを学ぶ必要がありますが、決して自民族の言葉を蔑視してはいけまぜんし、忘れてはいけないということを心の底に刻印しなければならないと思います。我々は漢語を「神の言葉」のようにすればするほど、我々は「自分の民族」を軽視することになるでしょう!もっと酷い場合、それが自分で自分を否定することにもつながることでしょう。そのため、我々は自分の民族の言葉と文字を尊敬し、学び、研究し発展させることが大切だと思います。
 そのようにしてこそ、他の民族と肩を並べて前進することができます。必ずできます。


訳者の寸評:
 この文章(一部省略あり)は内モンゴルのある中学生の民族に対する感想文です。素朴さが故に、一読に値するでしょう。その幼い眼差しは、決して短くて軽いものではありません。将来性は十分あります。

(和訳:N.オルトナスト 千葉大学大学院博士課程)


2003年度 奨学生のヒンガン盟ウランホト市第二中学校の高校三年一組セチエンさんのからのお手紙を掲載いたします。

尊敬する文化基金の先生方へ

 こんにちは。
 私は(ヒンガン/興安盟)ジャライト旗のアラタルト・ソム出身の学生です。実家の生活が厳しくてちょうど学業を廃棄しようとしていた折りに皆さんが暖かい手を伸ばし私を再び学生生活に戻してくださいました。もし皆さんの助けがなかったならばおそらく私には今日の勉強できる幸せはなかったでしょう。私は、私と同じくこの栄光に恵まれた他の二人の奨学生を代表して皆さんに心から感謝を申し上げます。
 文化基金の先生方はご安心下さい。私たちは必ずしっかり勉強して、モンゴル民族に有用な人間になるよう努力します。私は皆さんからの奨学金を受け取ったあの瞬間から以上のようなことを心に誓いました。大学の受験は日々迫ってきていますが、私は必ず自分の弱点を克服し、皆さんにいいお知らせを届けたいと思います。私は皆さんからいただいた暖かい気持ちを自分の将来への原動力にし、必ず皆さんからの要望に応えるよう努力します。
 最後に諸先生方の健康をお祈りします。心から感謝を申し上げます。  

  ヒンガン盟ウランホト市第二中学校の高校三年一組  セチエン

2004年3月4日
(和訳:ボルジギン・ブレンサイン)

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